I DE A展無事終了しました!
一日目の終了後に書いた記事の文字色は
ねずみいろ にしてあります
二日目以降は くろ です。
1日目(土曜日)ーーーーーーーーー
会場の前には大きな矢印が出現!
道でこれを見つけたら是非お立ちよりください
会場を入ると大きな四角が壁を囲んでいる
その中央には一つの張り紙がはってある
これは『ここに張り紙を貼ってはいけません』というルールが与えられた張り紙が壁に貼ってある状態。
実際は壁にいかなる張り紙をも貼ってはいけないのだが、そのルールを与えるには張り紙を貼らなくてはいけない
ルールを与えるには張り紙を、しかし張り紙は貼ってはいけない、しかしそのルールはこの張り紙を貼った瞬間に現れる、、
矛盾なのか、白黒つけられるのか、、普段にあるごくありふれたデザイン的な『壁に張り紙がはってある』という状況の矛盾を作品にしてみました。
制作者 by執行正繁
一つの顕微鏡が置いてある
これは一体なんなんでしょうか?
顕微鏡の前には一枚の葉っぱ、、
顕微鏡をのぞくと、そこは真っ暗だった
僕はそれを覗いた時、「なんだ見えないじゃないか、、」と思いました、しかし、これは壊れている訳ではなく、外の光で調節して見れば見えるものである
人々はそこに顕微鏡があると「なにが見えるんだろう?」や「どんな凄いものが見えるんだろう?」と、勝手に見えるという前提を持って触りだす
しかし見えないとわかった途端にあきらめてしまう、、人は期待に似た先入観を持って物事に取りかかっている部分があるのではないだろうか?
制作者 by浅見俊哉
9枚の板といろいろな道具が置いてある
9枚の板にはそれぞれテクスチャーが加えられている
ささくれというものをご存知だろうか?
ささくれというのは指(爪の根のあたり)によくできる皮が少しめくれているものである
今回それがテクスチャーとして木の板に作られている、このささくれは、閲覧者も彫刻刀を使って自分で作ることが出来る、ピンセットや爪切りが置いてあり、そのささくれを剥くことが出来る
本人にしかわからないもどかしいという気持ち、なんかモヤモヤしてしまう気持ちが作品になっている。
正直最初見た時、「ぞわわ〜」ってしました(笑
制作者 by山口愛
一体のトルソーがスカートを履いている
トルソーの後ろにはキャプションが貼ってある
キャプションのタイトル『みさき』
今回一番リアクションがあった作品(特に男子)
見えそうで見えない、見たいけど見れない、、日常のあらゆる場面(とくに階段)でスカートがひらひらしていることがある、しかしそれには見てはいけないという前提があり、その前提があったりすると人間は想像してしまう、いや、予想以上に想像(期待)してしまっている
本来このトルソーが人間であったりスタイルや人間自身がなにであっても、結局なにかに美意識を持ってしまっている
それは既に人間(特に男子)の中になにか強い欲求が生まれていて、見えていない状況なのに欲求が想像してしまっている。
因に、みさきは『見先』という掛け言葉になっている
制作者 by大澤加寿彦
ビンにカラフルに色付けされたネジが入っている
バイトで見つけたネジをポケットに入れて帰った、家につくとすっかりネジのことは忘れていた、次の日母親が洗濯した時に見つけ僕に渡して来た
その時いきなり「ビンと合いそう」などと思った、そこから生まれた造形である
そういうものって完全な美なのかなって思った。
ネジというものは穴を完全に埋めてしまう
人間もネジと同じような所があって、ネジが薬だとしたら、病気の時に薬を飲んで、たいして効能がない薬でも自分が薬に合わせて治った(ネジがはまった)と思ってしまう(病気は気から)
ネジがはまる様に人間も色々を型にはめて安心している
そんな時に自分に聞けたらなんて素敵なんでしょうか?型にはめたのはネジか空いてた穴?かって、、。
↑4行目からは作品にするための後付けです(art付け!?)
制作者 執行正繁
この作品はKAPLに突然現れた作品である
『あぶない!足が折れるのでちゃんと座ること!』
写真のイスとこの文章、、色々とおかしい!?
多分色々なことがあってこのような状況になったんだろうけど、人間は理解する為に自分で理解するんでしょう
しかしただただ意味のないものかも知れません、そんな意味なんてないようなこのイスにタイトルをつけるのならば
『とにかくなにか凄いことが起こっているというものが展示してある』
制作者 by KAPL
9枚の写真が飾ってある
それぞれが3つのグループで日常を見つめている
『普段顔に見えないものが顔に見えてしまう』
このような状況は人が勝手に自分の中で顔にしてしまっている、顔というものは目や鼻があって〜だとか言葉にすると色々といる訳だが、服のシワなどが目(と思われる形)や鼻(と思われる形)になってたりすると顔というように捉えてしまう
これは日本人特有なものらしく、日本人のI DE Aというものなのでしょうか?
そんな日常のおもしろいものを写真化することによって成り立った作品。
制作者 by中山光
『止まれ』という標識が振り子の様に静かに振られている
ずっと動き続けている、、
『止まれ』と書かれた本来止まるというルールを持った標識が左右に動いている
止まれと言っているものが止まっていないのはなんだか納得出来なかったりします、しかし人はそれでも自分の安全を考えたり、よりよく過ごす為に軽い無視をします
そんな皮肉が詰まっているような作品なのですが部屋の中では可愛く動いていてました
柿本さんの場合は制作過程のなかでの葛藤や物事への突き詰めが僕も考えさせられる作品でした。
制作者 by柿本貴志
ラストは映像作品
壁に投影された画面には、波打つ某女優
街のいろんな場所にある旗のついた棒
そこで宣伝せれていた某女優の写真がスロウスピードのコマ撮りで流れている
人がアイドルや女優、好きな女の子なんかに抱くイメージは本人の中ではとてもポジティブなものだ、しかしそれはなにを追い求めているのか、、
美というものは勝手に人間が自分の中で美というフィルターをかけて成り立っている感情なのではないだろうか?
目というものも、本来1コマ1コマ写真のようなものが連なっている、それを動画化している
普段じゃ気づかないものを写真にすることによって気づくことが出来る作品。
制作者 by浅見俊哉
一日目終了後の駅前広場
二日目
KAPLにあるガチャポン、キリンは当たりですか!?
I DE A展らしく、僕が買ったらつられるなにかがあったのか、色んな人がガチャってました(笑
一日目は夢の話しや日常で起こるおかしな話しなどをしました
随分と熱の入ったトークが繰り広げられました
夢という不確定、不安定すぎるものの中に見える共感や、同調した時、『嬉しさ楽しさ』がありました
みんなが話していたこと↓↓
「(高いところなどから)落ちる夢を見た場合、現実でもベットから落ちていることがある、現実で落ちたという事に対して、何故夢では落ちるまでのストーリーが用意されているのだろう、、」
「夢というのは目覚めたあとで、脳が後付けして色々とストーリーを作っている」
「嫌な夢を見たらリセットしてはじめからやり直すことができたよ」
「明日のことを整理する様な夢を見た、例えば明日やることを事前に想定した夢を見る、そうするとその日(夢を見たあと)がスムーズに進んで作業がはかどる」
「夢から目覚めて今の夢でやり残したことをしようと思ってもう一回寝る(夢に入る)と、そのやり残したことはたいていどうでもよくなって、別の事象がまた起こる」
「人は平均11秒に一回やらしい事を考えている」
「あさみさんとしぎょうさん意外は個人的なIDEAを表現してる、二人はなにか個人の感情が入ってない感じがしてました、それもいいですね」
「人は周り(親や友達、道で会ったひと)などに影響されて育つものだけど、もし夢でなにか影響されたら、それは自分自身で変わったってことなのかな?」
「今回の展示は現代アートの人達の感じだと、凄く王道な展示ですね、それはいいと思いました、僕はKAPLには他にはないKAPLの良さがあって楽しみにしていました、今回はそれとは少し違うものを感じました、そしてそれも気に入った点でもありました」
「本来I DE Aなんていうと美に限りなく近づいていくものだけど、今回の展示はそれとは逆に不美に近づいているものなんかもあったりして、そこはおもしろい」
今回とても楽しく展示会で来たきがします
なんだかみんなが協力してくれると強い!!って思いました
ほんとにここは心強い場所だなって思いました
I DE Aって企画した自分でも正直全然深過ぎてわかんないけど、わかんない事にどこまでも模索していくってことは素敵だな〜って思いました
山だって登ったあとは下りが待ってる、でもI DE Aってずっと登っていららえる気がします、登っている時が楽しい時ならばずっと登っていたいものです。
二日間お疲れさまでした!
by 執行
KAPL9月企画展
「I DE A展」
~あれだよ、あれ。~
会期:2010年9月25日(土)、26日(日)
時間:13:00-19:30
場所:KAPL―コシガヤアートポイントラボ/入場無料
企画:執行正繁(横浜美術大学3年)
連絡先: kapl@excite.co.jp
展覧会関連イベント:
○未来会議-みえない未来について語り合いましょう
創造力をご持参ください。
2010.9.25(土)・9.26(日) 両日15:00~17:00